沖縄県ホテル旅館生活衛生同業組合公式サイト・那覇市観光ホテル旅館事業協同組合 - ホテル組合のあゆみ

ホテル組合のあゆみ

本組合は、昭和49年9月2日付けで生活衛生関係営業の適正化に関する法律に基づく県内唯一の法定団体として、沖縄県知事の認可を得て設立され、国際海洋博覧会に向けての受け入れ態勢の強化事業やホテル旅館業界の安定的発展のために巾広い組合活動を展開してきました。
海洋博は沖縄観光の発展に大きなインパクトを与えると同時に、その後遺症によって本組合から約30%の組合員が倒産やホテル閉鎖に追い込まれ、余剰宿泊施設の売却を国や県に要請する中で、必死の誘客活動を展開し、全組合員が一致団結して組合活動を推進することで海洋博後の苦境を乗り越えることができました。

添付画像 その間、組合財源の悪化により組合職員を解雇する等組織の存在も危ぶまれましたが、賛助会員のご支援御協力で組合活動を継続してきました。
観光は平和産業と言われるように、アメリカで発生した同時多発テロによって再び沖縄観光の危機に直面しましたが、国や県と業界が一致協力して沖縄観光の再生に取り組み、特に沖縄電力様を始め多くの県内企業等の「県民1泊運動」は、苦境の業界に大きな勇気を与えると同時に、県民の観光に関するコンセンサス作りに大きな役割を果たしてきました。

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更に、イラク攻撃やSARSの流行によって、沖縄観光は大きな打撃を受けましたが、官民一体となった誘客活動は全国民の共感を得て、沖縄観光ブームを引きおこす原動力になりました。
平成元年から本組合が取り組んできました「かりゆしウエア普及着用運動」も、多くの県民に認知されるようになりました。

また、本組合での共同購入事業の約7割は県産品で占められており観光客の道案内として毎年発刊してきた「リゾートマップ」は多くの県民や観光客に利用されております。
後継者の人材育成事業として各協定旅館ホテル連盟沖縄支部の助成で取り組んでいる「青年部活動」も年々活性化しつつあり、沖縄観光の将来に大きな原動力になるものと思われます。
今や沖縄経済を支える一大産業に成長したホテル旅館業界の発展をめざして、役職員一致団結して組合活動に進していきます。

表彰状・感謝状

本組合は、創立以来沖縄国際海洋博覧会の受入体制の強化をはじめ、多くの関係機関や団体等と協力して組合授業に取り組み、表彰状や感謝状を頂きました。

【表彰状の部】

     
昭和53年 九州大会での優良組合表彰(第27回中小企業九州大会)
昭和54年 納税思想の高揚による表彰(昭和54年度納税表彰式)
昭和57年 全国大会での優良組合表彰(第34回中小企業全国大会)
昭和63年 観光振興の功績による表彰(昭和63年度観光週間)
昭和63年 視覚障害者の職場づくり(沖縄県視覚障害者福祉大会)
平成4年 業界従事者の福祉向上による表彰(中小企業集団福祉)
平成9年 観光振興の功績による表彰(平成9年度観光週間)
平成10年 人に優しい地域の宿づくり賞(第76回全国大会)
平成17年 人に優しい地域の宿づくり賞 選考委員会特別賞(第83回全国大会)
平成23年 琉球新報活動賞 産業活動部門
【感謝状の部】

  
昭和51年 沖縄国際海洋博覧会の開催協力による
昭和54年 第1回大料理展示会の開催協力による
昭和55年 国民旅館制度の育成と振興による
昭和57年 オリオンビール創立25周年記念による
昭和61年 第1回NAHAマラソン開催協力による
昭和61年 那覇大綱挽復活15周年記念による
昭和62年 第42回国民体育大会(海邦国体)開催協力による (沖縄県知事より)
昭和62年 第42回国民体育大会(海邦国体)開催協力による (那覇警察署長より)
昭和62年 全国身体障害者スポーツ大会開催協力による
昭和62年 組合の組織強化と環衛業界の発展功績による
昭和62年 オリオンビール創立30周年記念による
平成2年 第68回全旅連全国大会開催による
平成2年 NAHAマラソン第5回記念大会開催協力による
平成3年 暴力団追放沖縄県民会議設立による
平成4年 那覇市政70周年記念による
平成5年 全国植樹祭開催協力による
平成7年 NAHAマラソン第10回記念大会開催協力による
平成8年 阪神淡路大震災支援による(70才以上無料招待旅行)
平成9年 特別地方消費税の廃止運動による組合活動の展開
平成9年 オリオンビール創立40周年記念による
平成12年 退職自衛官の就職支援業務による
平成12年 エイズ撲滅協力募金への協力による
平成12年 九州・沖縄サミット成功への貢献による (沖縄県サミット推進県民会議より)
平成12年 九州・沖縄サミット成功への貢献による (第11管区海上保安本部より)
平成14年 第3回世界のウチナーンチュ大会開催協力による
平成14年 平成14年度海外技術研修員の受入協力による
平成16年 交通安全無事故コンクール実施協力による
平成16年 NAHAマラソン第20回記念大会開催協力による

沖縄県ホテル旅館業のあゆみ

昭和初期の那覇市内には、鹿児島県出身の久保氏経営による「逢来館」という旅館や、約5〜6軒の旅館が営業していたようです。
その他、村宿小(ムラヤドグヮー)という民宿が各地から那覇に来る人達の寄り集り場所として利用され、各地の出身者によって営業されていたようだ。
昭和15年に大阪商船が阪神航路の定期船として「台中丸」や「台南丸」が就航すると伊藤忠太博士や柳田邦夫氏等によって推挙された沖縄独特の文化財が「国宝」の指定を受け、沖縄県が広く国内に宣伝されると各層のVIPが来県されるようになった。当時の県知事は、VIPの対応に苦慮され県内にホテルを誘致するために、当時神戸市の「えびすや旅館」に勤務していた宮里定三氏に依頼され、昭和16年に那覇市波之上宮前に落成した「沖縄ホテル」が県内ホテルの第一号になった。
沖縄県唯一の「貴賓ホテル」として開業した沖縄ホテルには、李王殿下(陸軍中将)やワン・ワイ・タヤコン殿下(タイ国総理大臣)や、三笠宮殿下、東条英機総理大臣等という国賓や日本政府要人が御宿泊されたが、大戦によって同ホテルも閉鎖することになった。
昭和26年に琉映貿が本土から有名タレントを招くようになり、宿泊するホテルがなく那覇市大道に「2階建の木造レンガ造り」の沖縄ホテルが、終戦後の県内ホテル第1号で現在も沖縄ホテルの敷地内に保存されている。